ドイツはドレスデン在住のアーティスト、デヴィッド・ハンケに
よるソロ・ユニット<
レネゲイズ・オヴ・ジャズ>のアルバム
『ヒップ・トゥ・ザ・ジャイヴ』が、おかげさまで各所より、とても
素晴らしい評価をいただいております。
ビッグバンド・ジャズやスウィングとブレイクビーツの融合と
いう、クラブジャズ的には既に古典的とも言える手法を用い
つつも、ビッグビート的な武骨さや破壊力を湛えたマッシヴ
なサウンドは、フロアでもホームリスニングでも、とにかく
アガれる、痛快なもの。
日本のお店の展開の様子や媒体のフィードバックを送った
ところ、ポンポンと話しが進みチャット状態で色々と聞くこと
ができましたので、以下にインタビューとしてお届けします。
ハンケさん本邦初インタビューかと思います。是非、ご一読を。
Q:ヴァイナルのリリースからちょっと時間が経ちましたが、遂にCDも出ましたね。おめでとうございます。
A:ありがとう。レコードだけでもうれしかったけど、やっぱりCDでリリースとなると、また違ったリスナーに自分の音が届くと思うし、こうやって日本のみんなともコネクトできたわけだし、改めて、よかった、という感じだよ。
Q:レネゲイズ・オヴ・ジャズとして日本に紹介されるのも、ほぼほぼ初めてかと思いますし、まずはすごく基本的なことから、聞かせて下さい。そもそも音楽を始めるきっかけは?
A:学校時代、ドラムとパーカッションを習っていたんだ。でも家では、音の兼ね合いで、どうしても練習できなくてね。で、ギターに変えたんだよ。90年代の初頭だった。ただギタリストはどこにでもいて、学校の友達とバンドをやろう、という話になっても、みんなギター希望なんだ。5人みんなでギターでバンドを、なんて言っても無理だろう?だから、当時はギターの練習はしていたけど、バンドを組んで本格的な活動をするには、至らなかったね。
Q:そのころはどんな音楽を聞いていたの?
A:最初はMCハマーとか、どメジャーなポップスを聞いていたんだけど、そのあとは、サウンドガーデン、パール・ジャム、スクリーミング・トゥリーズ、アリス・イン・チェインズ、マッド・シーズンあたりにハマったね。ロック・キッズだったよ。
Q:そこからどうやって、現在のようなスタイルに落ち着いたのでしょうか。きっかけは?
A:90年代も末くらいになると、自分が聞いてきたようなロックも、さすがにどれも同じに聞こえるようになってしまって、ちょっと新しいものが欲しいなぁと、思っていたんだ。そんなとき、ニンジャ・チューンあたりのファンだった友達が貸してくれたのが、クルーダー&ドルフマイスターだとか、シーヴェリー・コーポレーションだとか、ハーバライザー、あとはアップ・バッスル&アウトだったんだ。全然なじみのないタイプの音楽だったんだけど、とてもフレッシュで、一気に好きになって、はまっていった。
Q:で、サンプラーや機材を買いそろえて、そういう音楽を作ろうと?
A:そう。ちょうど祖母が、僕が音楽好きだというのを知って、レコード・コレクションを譲ってくれたりしたこともあって、そのレコードから、「抜ける」ブレイクを見つけ出してはループを作ったりして、まぁ、いまやってることのプロトタイプみたいなことを、少しずつ、スタートさせたんだ。
Q:なるほど。それから、レネゲイズ・オヴ・ジャズとして最初のトラックを完成させたのは、いつだったのですか?
A:2009年の10月かな。実は当時、イタリアにいた友人の
スオーニョ(Suonho)と、何か一緒にできないかな、という話になって、コラボの機会を探っていたんだ。でも彼が忙しすぎて、結局それは実現しなかった。翌年の春まで、待ったんだけどね。でも、自分があたためてたアイデアを、どうにか形にしたいなと思って、結局、ソロ・プロジェクトの「レネゲイズ・オヴ・ジャズ」として、トラックを発表することにしたんだ。
Q:で、それをスムーヴのレーベルから発表したと。どういうコネクションだったんですか?
A:マッシュ&マンキー(Mash & Munkee)っていう、僕が最初にはじめていた、もうひとつ別のユニットあるんだけど、そこで彼がフルートを吹いてくれたんだ(「Wake Up」というトラック)。そのときからの縁で、ちょくちょく連絡はとっていた。それで、「Karabine」のデモが出来た時も、真っ先に彼に聞いてもらったんだ。別に売り込もうとか、契約のことを考えて話したわけじゃなかったんだけど、彼のほうから、レコードを出さないか、って誘ってくれたんだ。そのためにレーベルを作るから、って。それで、Wassが出来て、12シングルを出すことが出来たんだ。
Q:スムーヴもずいぶん前のめりでしたね。
A:確かに。曲を聞いてもらって、5分でフィードバックがあって、すぐそういう話になった。
Q:あなたの音楽は、ジャズだし、ブレイクビーツだし、サンプリングもあって、でもいまの世の中、うまくどこか特定のジャンルに当てはめることが難しい種類の音楽だと思うのですが、ご自身で自分のスタイルを定義するとしたら、どのようになりますか?
A:シンプルに「ノーザン・ジャズ」と呼んでいるんだ。ノーザンソウルと引っかけてるわけでもないんだけど、僕自身がドイツの北のほうの出身で、すぐ隣はデンマークだろ?そこからノルウェーとかスウェーデンとか北欧の国々とも近いし、昔から北のほうにシンパシーがあった。
Q:制作のとき、どこか別のところやもの、音からインスピレーションを受けていたりしますか?
A:そうだね。古いレコードだったり、記憶に残っているメロディーだったり、あとはベースを弾いてくれている友人のベースラインだったり、色々とあるけど、たいがいは、忘れちゃうよね。ひとつずつ記録しているわけでもないので。
Q:ふだんはどんな音楽を聞いているのですか?お気に入りのアーティストがいたら教えてください。
A:べイジル・カーチン(Basil Kirchin)がとても好きで、彼の昔のレコードをよく聞いてるね。あとはテリー・スナイダー(Terry Snyder)とか。最近のファンク・バンドも大好きで、ニュー・マスターサウンズやブラウンアウト(Brownout)、ディアスポラ(Diazpora)やソウルジャズ・オーケストラ、ジャングル・ファイヤーなんかは、割と聞いているかな。スリーピン・ジャイアンツ(Sleepin' Giantz)とかマックス・セッジリー(Max Sedgley)、ヒント(Hint)とか、エレクトロニックな音楽もチェックしている。
Q:レネゲイズ・オヴ・ジャズのステージはどんな感じ?
A:ふだんは、レコードでDJをしている。ヴァイナルがないときだけCDも使うけど、基本レコード・オンリーで。いつかはライヴ・バンドでもパフォーマンスしてみたいとは思っていて、ずっとアイデアは温めているんだけど、ああいう音で、人数もなかなか揃えるの難しいし、まだ実現までは、しばらく時間がかかるだろうね。
Q:日本には…
A:行ったことないよ。どんなところなのか想像もつかないけど、いつか行ってみたいね。でもとりあえずは、日本の方が自分の音楽を聞いてくれている、というだけで、とてもうれしいよ。いつか直接みんなの前でパフォーマンスできたら最高だよね。
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スムーヴのレーベルからのリリース、とは聞いていましたが、
わざわざ彼のためにレーベルを作ってのリリースだったんですね。
レネゲイズ・オヴ・ジャズのデビュー・アルバム
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